2017.11.12「韓民族は摂理史的な祭物」

平和経 第8編「韓国統一と世界平和」P1201~P1202
「韓民族は摂理史的な祭物」
 
神様はなぜこのような摂理をされるのでしょうか。神様がこの民族に十字架を負わせたのは、この民族を召命するためです。この民族は長い間、天を敬い、道義精神と平和精神をもって長い試練に打ち勝った受難の民族であり、善の民族であるがゆえに、召命されるに至ったのです。
そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのです。数千年間、苦難の歴史を過ごしてきた韓国は、最後に人類救援の祭物になって、分断という世界史的な十字架を負い、あらゆる試練に打ち勝ちつつあるのです。
祭物として召命された民族であるがゆえに、摂理の焦点が韓国に置かれているのです。これは韓民族として、栄光であると同時に恩賜であり、恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすときは、最も光栄な祝福を受けるのですが、責任分担を果たせないときは、最も過酷な不幸に襲われるからです。二千年前のユダヤ民族は責任分担を果たせず、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを私たちは知っています。
民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践とともに神様の真理を知らなければなりません。イエス様は愛を中心とした実体として、御自身を、道であり真理であり命であるとおっしゃいました。イエス様は愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。
これは、善の側と悪の側を和解させ、怨讐を悔い改めさせるには、愛とともに真理が必要であることを意味しているのです。真理とは、世俗的な真理ではなく、神様の愛に関するみ言葉をいいます。神様の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として地上に伝達されます。神様の真理は絶対的真理です。絶対的真理は万能の鍵のようなものであって、この真理を適用すれば、いかなる難問題も解けるようになるのです。


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