2014.1.19 訓読のみことば

本然の自分を取り戻すこと

文鮮明師 「私」を取り戻すには、誰を中心として取り戻さなければなりませんか。自分を中心として取り戻すのではありません。神様を中心とした私を取り戻すまでは、本然の位置に戻ることはできません。ですから、数多くの宗教は神様を求めるのです。神様と私の関係を知って、私がどのように立たなければならないのかということを知るための道が、宗教の道なのです。
人間にとって最も貴いものは、神様の全体属性を備える本然の私です。しかし、人間が最も貴いものを失ったので、それが見つかるまでは喜びや幸福を感じることができません。それで、今日の堕落した人類は、東西南北の四方に散って、その「本然の私」を探し求めているのです。
絶対的な理念の本体であり、善の本体であり、生命の本体であり、愛の本体であるその何かを必然的に求めるべき人間なのですが、「私」自身は今、さまよっています。このような私の姿が絶対的な善の方向と角度に比べて、どのような方向と角度を持っているのでしょうか。
私の心は右に行こうとするのに、体は左に行くのはどういうことでしょうか。私の心は、もっと高い理念を持とうとするのに、実際には限界のある宇宙観を持っているのはどういうことでしょうか。私たちの姿を、もう一度冷静な立場で観察してみなければなりません。その何かを求めるためにあえいでいる、自らの強情でひねくれた姿を見つめようとしなければなりません。私には体があり、心があり、霊があります。私たちは、この体と心と霊が統合した一つの姿にならなければならないのです。(P856.2~4)

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