2013.10.6 訓読のみことば

侍る生活の心構え

文鮮明師
 神様は、妄想的で観念的な神様ではありません。抽象的な神様ではないのです。生活の中で主体性を持ち、私たちが暮らしている生活の主人として、常に共にいるのです。侍られているだけではありません。愛を共有しながら共同生活をしている神様です。
 先生はこのような環境で、今まで一生の間、サタンと闘争してきました。このような人に世の中がいくら反対しても、天が守ってくれるところにおいては、サタンは打つことができず、崩すことが出来ません。そのような基盤が立っているので、打てば、彼らが倒れるようになっているのです。
 神様を心の中にお迎えし、体の立場で人間が完全に一つになる起源を作らなければ、この悪魔の世界を精算する道がありません。それで、侍義(神様に侍ることを義とする)の救援時代だと見るのです。侍ることによって救いを受けるのです。神様は、あの空の遠く彼方にいらっしゃる方ではありません。私たちの生活圏内の主体者として、神様に侍らなければなりません。侍るには、どのようにしなければなりませんか。蕩減原則に従って、歴史時代に神様が悲しみ、苦痛を受けたすべての事情を解いて差し上げなければなりません。
 行いの義や、信仰の義や、侍る義を追求するのはなぜでしょうか。義でなければ善悪を分別できないからです。悪の世界と善の世界が分かれないのです。膳の基準点になるのが神様です。神様が信じるのと同じように、神様が行うのと同じように、神様が侍るのと同じように、いつでも神様が中心にならなければなりません。サタンは、神様のように義なる人に対しては、讒訴できないというのです。

-新天聖経より-

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