決死の覚悟で行くべき道を行く
世界情勢を見たとき、日本を憎い敵とばかり考えて、無条件に排斥してはならないと思いました。そこで、何度か宣教師の派遣を試みましたが、いずれも成功には至りませんでした。最後に使命を果たしてくれたのが崔奉春(チェ・ボンジュン、日本名は西川勝)です。
1958年、甲寺(カプサ:忠清南道の鶏龍山にある)の裏山に崔奉春を呼んで、私は言いました。
「おまえは、今すぐ玄界灘を渡っていかなければならない。勝利するまで戻ってくることはできない。」
彼は少しもためらわずに「はい!」と答え、「召されて出で立つこの身はゆくぞ・・・」という統一教会の聖歌を歌いながら、意気揚々と山を下りていきました。日本に行って生活はどうしたらいいか、宣教はどうやって始めたらいいかと尋ねることもしませんでした。崔奉春はそのような豪胆な男でした。
当時は日本とまだ国交が無かったので、密航するしかありませんでした。密航は国法を破ることでしたが、日本宣教は必ずやらなければならないことでした。したがって、何があろうと困難はすべて耐え忍ぶしかなかったのです。
崔奉春は決死の覚悟で密航船に乗り込みました。私は、彼が無事に海を渡ったと知らせてくるまで、他のことは一切せず、小さな部屋に篭って座り、ひたすら祈り続けました。何も食べず、寝ることもしませんでした。彼を送り出すのに必要な資金百五十万円は、借金をして充てました。満足にご飯を食べられない信徒が大勢いる中で、大金を借りてでも彼を送ったのは、それだけ日本宣教が急を要することだったからです。
-「平和を愛する世界人として」-