2013.9.29 訓読のみことば

文鮮明師 真の信仰の道というとき、真とは一つしかありません。信仰の対象とは誰でしょうか。絶対的な神様です。信仰生活とは、神様のみ旨に合うように、神様が願う目的地を訪ねていくためのものです。「私」が願うものではないというのです。信仰する人たちが願うものではありません。今までの信仰界の混乱が世界的に広がったのは、信仰の目的が自分を中心とするのではなく、神様のみ旨を成就するためのものであることが解っていないからです。
 すべてのことが自分と連結されています。完成するのも自らにかかっていて、完成できないのも自らにかかっています。成功するのも自らにかかっていて、成功できないのも自らにかかっています。信仰生活もそうです。一生涯、同じ信仰生活をしますが、本来、良心を中心として最高の目標に到達したいというのは、万民共通です。しかし、最高の基準に到達するというのは並大抵のことではありません。上がれば上がるほど、最後にはだんだんとなくなります。最後には、一つで全体が完成するという結論が出るのですが、その一つに到達するのが難しいのです。今まで歴史を通して良心は善の目的に向かってきましたが、人間が願うところを完成するというのは、並大抵のことではないのです。
 生活の中で、どんな立場で天と同行するかという評価の基準を育てる生活が、統一教会の信仰生活です。これが、皆さんがあの世に行ったとき、財産になり、今後、新しい世代が歴史の主人公になるのか、あるいは落伍者になるのかを決める境界線になるのです。

-新天聖経より-

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