誠を尽くして愛す

み言葉を中心として天の父母様と真の父母様の愛と恵みが満ち溢れることを祈ります。
 
訓読のみ言葉にある”真を尽くして築いた塔はたやすく崩れない”というのは韓国の諺です。お父様が生涯を通じて最も大切にしてきた言葉が”真”です。お父様の生涯を見てみれば、精誠というに相応しい内容ばかりです。”誠”という字はみ言葉で成すという意味です。自叙伝を見ても統一教会草創期の凄まじい迫害の中を、お父様は誠を尽くすことで乗り越えてきたことが分かります。
 
旧本部教会は日本式の家屋です。おそらく戦前は日本人が住んでいたのでしょう。当時としては高い丘の上にありました。お父様はその建物を購入されましたが、しばらく使われていなかったので真っ黒に汚れていました。お父様は食口たちと共にきれいに掃除されました。
旧本部教会は真のお父様の汗と涙の精誠が込められた場所です。お父様は旧本部教会時代にはほとんど眠らなかったということです。自叙伝にはその記述があります。食べるのも、寝るのも忘れて投入されたのです。お父様のそのような条件がなければ、当時の迫害を乗り越えることはできなかったと思います。
お父様は天に対して立てるべき基準は必ず成してこられたのです。そのような中で、多くの命が復帰されてきたのです。お父様は当時の400名の教会員の名前を毎日祈ったということです。今の宇都宮教会より少し少ない人数でしょうか。多くの食口たちがお父様のみ言葉に触れ、霊的な啓示を受けて復帰されてきましたが、迫害の中で滅んでしまってもおかしくない状況だったのです。お父様の精誠によって守られてきたのです。
 
私たちはどれほど望みや希望を持ってみ旨を歩んでいるでしょうか?諦める人には何も残りません。天を慕い、真の父母様を慕う心があるでしょうか?真の父母様は私たち一人ひとり、人類一人ひとりを慕う心情で歩んでこられたのです。マタイ福音書6章33節に「まず神の国と神の義を求めなさい」とあります。まず“慕う心と志”を持つのです。私たちが何を中心に生きているかが大切なのです。イスラエル民族は何のためにあったのか?メシヤを迎えて神の国を建てるための民族だったのです。
私たちの心が何に向いているのか?何を中心として希望を持っているかが重要です。希望を持っている人は少々のことでつまづいたりしません。どのくらい神様、御父母様を慕い、その願いを実現するために歩んでいるかが重要です。そのような思いで取り組めば、問題の解決の道も見えてくるのです。その意味で、最も重要なのは孝情の心です。孝情の心で歩んでいけば霊界が導いてくれるし、必ず良い方向に向かっていくのです。
 
お父様の家は、乞食が訪ねてくればご飯をあげてもてなしました。善をたくさん施す家は福を受けるのです。お父様も8歳の時に貧しい人の家に米俵を担いで持って行ったのです。電車賃も節約して、僅かなお金でも節約して貧しい人を助けたのです。日本留学時代も様々なアルバイトをしながらそのようにしたのです。貧民街で貧しい人たちと一緒に寝泊まりしながらご飯を食べさせたりしたのです。
お父様は16歳の時に再臨主の使命を告げられてから、そのこと以外に何も考えられなかったのです。遊ぶことも、勉強することもできなかったのです。
お父様は天国を美しく語る人ではなく、誰もが嫌がる道を行きながら、み旨の道を行かれた方なのです。韓国動乱の時も安全を確保できるまでは厳しい道を行かれました。その当時のお父様の姿は乞食のような姿でした。貧しい中で分かち合いながら歩まれたのです。興南刑務所でも同じようにされました。差し入れされたものを自分で使わずに周りの人に分けてあげました。
お父様のメシヤとしての心情、そして真の父母様としての心情は、いかなる時も人に分け与えるという心情です。人を良くもてなすことは福を受けることです。ただもてなすのではありません。愛の心を持ってもてなすのです。人を良くさせる人は自分が苦しい時に助けられるのです。この世でも順風満帆な道ばかりではありません。そのような時に助けられる人は、普段から人を大切にする人です。
 
私たちも真の父母様を見習って、天を慕い、御父母様を慕い、家族を、周囲の人を慕いながら歩のです。周囲の人をいつでも、もてなしていくのです。そのような心で取り組まなければ神氏族メシヤは進みません。誰も訪ねてこないような家で伝道が進むでしょうか?誰が家を訪ねてきても泊めてあげるような準備が必要です。天運は人を通して来るのです。棚から牡丹餅はないのです。人を嫌うような人に天運は来ないのです。
 
お父様はお母様のことを「情に厚い」と言われました。お父様の後ろからいつも周囲の人に施してきたのです。お母様を知る人はみな、お母様のそのような世界を知っています。様々な人たちがお母様を尊敬しているのはそういう世界があるからです。
お母様は誰も行けないような道を絶対信仰で超えていかれたのです。神様の一人娘という内容も私たちが知らなかっただけで、原理的に見れば明白なことなのです。キリスト教も新婦を迎えるためにあったのです。韓国の聖酒教団や複中教も、お母様を生み出すためにあったのです。
御父母様を慕う心がないと天一国は安着しません。私の心に天一国がないのに天一国はできないのです。全ての人がお父様を認めたとしても、私たちの心、家庭が天一国になっていなければ何も関係ないのです。私たちは真の父母様を見習って、誠を尽くして歩んでいくのです。


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