喜びの対象となる生活

本日訓読した天聖経のみ言葉は、「原理講論」の創造原理で説明されている”創造目的”に通じる内容です。天一国経典として編纂された内容には全てに意味があります。
神様は、”喜び”のために全ての被造物を創造されました。これが神様の心情です。お父様は神様の心情をよく語られました。創造は投入であり、犠牲を伴うこと、簡単に創造されたのではないことを教えてくださいました。一つ一つの万物がどれほど貴いでしょうか?全ての万物は神様と関係を持つことで本来の価値、絶対的な価値を持つのです。
神様の”喜び”とは何でしょうか?喜びは心情から来ます。聖書では創造された時に神様が「善し」とされたと表現されています。また、喜びは独自的に生ずるのではありません。相対が必要なのです。これがお父様の偉大な発見です。原理は、愛を通して実体的に神様と繋がっている人間と神様の関係を明確にしています。
 
お父様は10歳の時に家族でキリスト教に改宗しましたが、礼拝に遅れるだけで申し訳ないという気持ちで一杯だったと言います。それほど生ける神様を実感していたのです。原理の発見はお父様にしかできない内容です。
キリスト教では、「聖書を信じなさい」という結論で終わります。しかし、お父様は「なぜ神様は人間を造ったのか?」「全知全能の神様がなぜ堕落を防げなかったのか?」という問題に関して疑問を持ったのです。
なぜ神様は天国を願いながら、このような(不幸の多い)世界になったのか?という疑問を探求したのです。お父様は16歳の時にイエス様と出会いましたが、簡単に出会ったのではありません。深刻にこれらの内容を祈っていく中でイエス様と出会ったのです。
私たちには想像できないような深刻な談判祈祷をしたのです。世の中の問題をどのようにすれば解決できるのか?深刻に祈っている時に出会ったのです。その時にイエス様から「自分の果たせなかった使命を継承するよう要請された」のです。お父様は、それがどのような道なのかをよく知っていたので激しく葛藤されたのです。その後、お父様は原理を見出すために多くの苦労をされたのです。
 
私たちはノアやアブラハム、モーセの失敗をみ言葉で学んでいます。聖書は人間的に読めば信じられない内容が多いのです。しかし、私たちは原理を知るほど、聖書を知るほど、お父様の解明された原理の偉大さが理解できます。
私たちは、お父様のみ言葉を通して原理の理解を深めることができます。聖書が神様の啓示によって編纂されたことは間違いありません。旧約聖書はイエス様を迎えるための内容であり、新約聖書は再臨主を迎えるための内容です。
統一原理を通して聖書の様々な内容が理解できるようになるのです。更に、お父様が16万人の女性に済州島で語られた内容は血統転換の内容です。私たちは当たり前のように聞いていますが、聖書をただ学んだだけでは、ノアやアブラハムの物語の意味が分からないのです。
キリスト教の牧師が、タマルを淫婦として語っているのを聞きましたがこれがキリスト教の限界なのです。キリスト教では、なぜタマルの物語(夫が亡くなったため義父をだまして関係を持ち、身籠ったという話)が聖書に残っているのかが分からないのです。統一原理では、タマルのその行為がイエス様誕生の条件になったことがわかります。タマルの信仰がイエス様を生んだのです。そして原理を通して創造されたので、復帰原理を通して救われるのです。アブラハム、イサク、ヤコブの祝福がユダの血統にあることをタマルは知ったのです。その血統を守るために命がけで行動したのです。血統転換なしにイエス様が生まれることはありません。
新約聖書の最初はマタイの福音書ですが、最初はイエス様の家系が語られています。なぜこのような内容を残したのでしょうか?血統転換の内容があるからです。原理を知らなければ分からないのです。
 
原理のみ言葉はあまりに高次元で深いのですが、私たちは良く理解できないまま復帰されてきました。あまりに私たちは知らないのです。私たちが原理の内容を、お父様のみ言葉を正しく理解できるなら、生活の中でたくさん正せる内容があるのです。み言葉と生活が分離していてはいけないのです。
お父様は「運命は変えられる」と言いますが、堕落人間にとっては容易なことではありません。しかし、私たちは真の父母様と出会って運命を変えられました。程度は人によって異なりますが、変えられたことは間違いありません。
訓読と祈りには私たちが人を愛し、許すことができるようにする力があります。喜びと愛の力を通して、天国人になるのです。天国人とは霊人体を愛で満たした人のことです。
 
私たちは天の父母様と真の父母様の代身家庭にならなければならないのです。そのようになる時に天運が開けていきます。私たちが喜びの対象となっていくのです。
今の時代を“侍義時代”と言います。共に暮らし共に生きる時代です。家庭連合になり、荒野時代から定着時代になったのです。私たちがどのように成長しているかが問題です。
自ら進んで愛を施せるような人になるのです。み言葉が私たちの生活を通して表せるようにならないといけないのです。貴いみ言葉を与えられたので、生かせなければなりません。生活の中で、み言葉を通して喜びを得るようになるのです。そして神様と真の父母様に喜びを返そうとするなら、皆さんは周りの人に対しても喜びを与えることができるようになります。
堕落によって神様の心情の世界を人間に植えることができなかったのです。しかし真の父母様を通して祝福を受けることによって神様の喜びの対象なるのです。
私たちの生活を通して天の父母様が、真の父母様が喜べるようになっているでしょうか?私たちが神様、真の父母様の喜びの心情の対象になって歩むのが神氏族メシヤの道です。

あわせてお読みください

最近の礼拝説教