信仰とは徳積みの生活

礼拝を通して天の父母様と真の父母様の愛と恵みが満ち溢れることを祈ります。先ほどの映像でお母様の語られた「心が一つにならなければならない」というのはとても偉大なみ言葉です。
そして先週の祈祷会でも話しましたが、一人娘という内容は、お父様は生前にあまり私たちに教えてくださらなかった内容です。実際にはみ言葉の中ではたくさん語られているのですが、私たち自身があまり深く意識せずに聞き流してしまっていた内容なのです。今まで、あまり聞いていなかった(と思っていた)内容をお母様から聞くので戸惑いが大きいのです。お父様が霊界に逝かれた後にお母様がその内容を話されたので戸惑うのです。私自身も最初は戸惑う部分がありました。しかし、最近、原理的な観点から考えると、実は単純なことであることがわかったのです。
 
初めて自分は(神様の)一人息子だと宣布した方は誰でしょうか?イエス様です。私たちは原理を通してイエス様が(神様の)一人息子であることを学びました。そして再臨主も(神様の)一人息子なので、真のお父様も(神様の)一人息子です。
イエス様は血統転換によって原罪なき立場で生まれましたが、アダムは最初から堕落と関係なく生まれたのです。エバも同様です。アダムとエバが戒めを守って責任分担を完成していたら、堕落と関係ない家庭になったはずです。原理的に見たら堕落前のアダムとエバは神様の一人息子、一人娘です。
しかし、アダムとエバが堕落してしまったことにより、(第二のアダムとしての)イエス様が必要になり、更に(エバの立場としての)聖霊によって生み変えられる必要が生じたのです。原理ではこれを霊的な重生と説明しています。本来はイエス様のための実体の女性が準備されていたのです。ユダヤ教が失敗して神様のみ旨を完全に果たせなかったが故に、イエス様は実体の女性を迎えることができず、聖霊の役事になってしまったのです。
 
お父様の路程においても、キリスト教が(メシヤを受け入れることができずに)失敗してしまったことによって、(お父様は)メシヤの位置から引きずり降ろされてしまったのです。だからこそ、メシヤの位置を取り戻すためにお父様の北韓の路程が始まったのです。自叙伝には米を買いに行く時に神様から啓示を受けて、そのまま平壌に向かったことが記されています。キリスト教の失敗がなければ必要なかった路程なのです。
北韓で準備され人に出会うために、キリスト教からどれほどの迫害を受けたでしょうか?そのような歩みがあるのです。北韓から戻られたお父様は釜山で原理原本を執筆されて世界基督教統一神霊協会を創立しましたが、世界的なキリスト教の基盤から見れば本当に小さな基盤です。なぜそのような道を歩まなければならなかったのかを私たちは知らないといけないのです。
 
お父様は1960年にお母様と御聖婚されましたが、お母様の勝利がなければ真の父母は現れなかったのです。お父様だけの勝利では再臨主が顕現されるだけなのです。真の父母にはならないのです。一人息子だけでなく、一人娘もいなければ重生をどのようにするのでしょうか?神様の創造理想を成就するためにはアダムとエバが必要なのです。
キリスト教は今も尚、真の父母様による重生を受け入れることができていません。重生の役事の完成は実体の父母がいなければ成せないのに、キリスト教はいまだにこの内容を理解できないのです。キリスト教の信仰が深ければ深いほど、原理を受け入れがたいのです。これと同様に今までお父様だけを見つめて、きた人ほど、一人娘の内容を受け入れられないのです。
本来、原理的に見ればお母様が一人娘であることに何の問題もないのです。祝福は真の父母なしにはあり得ないのです。何度も話したことがありますが、本来の祝福の基準は堕落前のアダムとエバの基準です。ほとんどの人たちは許されて受けたのです。そのように考えると本当に貴い内容なのですが、私たちは価値が分からず祝福を自分勝手に捉えて、いろいろ不平を言っています。
先ほどのみ言葉の中で、お母様は心情圏が一つにならないといけないと言われました。どれほど愛の深い言葉でしょうか?私たちは73億人類を救うために一人でも多くの氏族や友人知人を伝道しようと思っているでしょうか?あまりにも御父母様の思いと遠いところで自分勝手に生きています。
神氏族メシヤとして歩み続けなければなりません。御父母様は、私たちが相続するべき見本を見せてくださっているのに、真の父母様の路程と私を分けて考えて、自分は楽をしようと考えてしまうのです。私たちは真の父母様を慰めていくような道を歩んでいるでしょうか?
お父様は死ぬかもしれないような状況でも「助けてください」と神様に祈るのではなく、「ここで死ぬような男ではありません」と祈って越えてこられたのです。私たちはどうでしょうか?困難にあった時、そのように考えているでしょうか?
そのように歩んで真の父母様から「よくやったね」と言われるようにならないといけないのです。祝福家庭の位置はあまりに貴く責任が重いのです。私たちの信仰も基本に忠実であることが大切です。訓読、礼拝、祈祷、そのような生活が必要です。
福を受けようとすれば滅び、与えようとすれば発展するのです。自叙伝を見れば、お父様の家系は人に先に食べさせて、お金を借りた時は家の柱を抜いても返し、人に貸すときは与えたつもりで貸してあげる。そのような心情で歩んできた家系です。私たちも祝福家庭としてそのような心情と伝統を打ち立てていかなければならないのです。
 
私たちは堕落人間です。愛を受けたいと願い、与えられたことはすぐ忘れてしまいます。しかし、悪く言われたことは絶対に忘れません。私たちが恨みを忘れなければ、サタンがいつも共にあるのです。
失敗した条件を離さず、握り続けるのです。アブラハムの失敗を蕩減するのに430年必要だったのです。これを解消していく道は徳を積んでいくことです。私たちは一生懸命善の道を行くのです。私たちは真の父母様と共に歩んで徳を積んでいくのです。真の父母様の勝利の伝統を相続するのが祝福家庭です。私たちの目標は真の父母様です。人生の目標として歩んでいけば私たちも真の父母様の似姿になっていけるのです。


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