2015.2.22 訓読のみことば

神の目的と我々の目的

(1965年1月28日東京教会)

この日本の地に足を踏み出す時、心から先生は祈っていた。「神の心情にかなった、真をもつてこの先生を迎える人がいれば、その迎える心情を神は記憶して下さい」。しかしまだまだ行かなければならない十字架の道を残している。この残しておる十字架の渦中におきまして、我を本当に迎えて行くその食口たちの迎える心は、まだ足らない。

だから、我々の因縁が貴いのである。我々の関係が貴いのである。我々の願いが貴いのであります。それ自体が貴いところだ。その因縁は個人よりも家庭に対しての思い、家庭よりもその氏族、あるいは民族、あるいは範囲が広ければ広い程その価値は比例する。だから大なる希望、大なる関係、大なる目的観をもって生活の態度を取って行くならば、その人に対しては我々は無条件に仕えて行く。

もっともっと大きい因縁、関係そうして願いの過程におきまして、目的観に接する人々が尊く歩きながら君たちが、日本の地の開拓の先頭に立って、気落ちをしない。あるいは疲れを知らない。困難を困難と思わない。世界を救うそういう歴史的な天宙的なその革命の一員として立った者にとって、こういぅ十字架は問題じゃない。こういう辛さはあるべきである。それは真理の道である。またそれは、自分が行かなければならない運命の道である。そういう考えを持って行くなら、今後の日本の発展は、飛躍的な発展をすると思っております。

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